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…渇望…
人は、どこまでも貪欲な生き物だ。
「あ、月・・・」
一人暮らし用のちいさな木造アパート。古びた外観と異なる、洋風に仕立てられた部屋。
「あんま外にいんなって。風邪引くぞ」
ベランダで空を見上げる恋人…王崎に声をかけながら、吸い終わりの煙草をくしゃりと灰皿に押し付けた。そして、近くにある自身のジャケットを手に取り、金澤はソファーから立ち上がる。一人暮らしのアパート。今はふたりだけの、秘密の場所。
「大丈夫、今日はそんなに寒くないから」
「そういう問題じゃねぇっての」
今だ忠告を聞かずにベランダにいる王崎に呆れの溜息をひとつ。なにがそんなに楽しいのか、彼は先ほどからずっと外に出ている。しょうがないと長い髪をかいて、自身も同じベランダへと出た。寒くないといえ、まだ春には遠いこの季節。少しでも風が吹けば、すぐさま身体が冷やされてしまうだろう。
「うわっ、寒っ!」
室内の暖められた空気から一歩外に出た途端、ひんやりとした空気が肌を震えさせた。
彼は寒くないといったが、ニットのシャツだけでベランダに来た今の自分でも外は十分に冷えていると感じる。
自分用になにか羽織ってくるべきだったと今更後悔。自分でもこれだけ寒いのだ、ずっと前からここにいる彼が寒くないというのは若さなのか、他のなんなのか。
「どこが寒くないんだ。十分さみぃじゃねぇか」
持ってきたジャケットを、今だ月を見上げている王崎にかけてやる。
ふわりと掛けられたそれに気付いて、王崎が空から視線を金澤へと移し、にこりと微笑んだ。
「ありがとうございます」
「感謝するなら部屋に入ってくれ。おぉ、さみぃ…」
手と手を擦り合わせ、かすかな熱を起こす。そこへさらに吐息をかけ、冷たくなっていた指先にじんわりと熱が戻っていく。
そんな寒がっている金澤に、王崎は自分にかけられたジャケットを少し捲り。
「一緒に、入りませんか?」
と、自分の中へと金澤を誘った。その提案に一瞬驚いた表情を浮かべたが、寒さには勝てず、素直に意見を受け入れた。だが、入るにしても一人用のジャケットだ。限界がある。
「じゃ、こうするか」
王崎がめくり上げたジャケットを一旦外し、金澤がそれを羽織った。そして、そのジャケットの中へ王崎を招きいれ、その背中をジャケットとともに腕の中へ抱きこんだ。ぎゅっと抱き寄せれば、布越しに伝わる体温が暖かく、心地いい。
「あぁ…ぬく~」
「そんなに寒かったんですか?」
「俺はおまえさんと違って年寄りだからな~。ほれ、手貸せ」
手すりと掴む手を離させ、細く長い指を自分の手でぎゅっと包み込む。その指はやはり冷たく、ほんのり赤い。何度も握ってやり、やっと体温が戻り始めた。手だけでこれだけ冷えているのだ、身体も寒くないはずは無い。なんとなく気になり、王崎の頬へ自身の頬を寄せれば、ひんやりとしたものが伝わってくる。突然暖かなものを当てられたからか、その体温差に腕の中の身体がビクついた。
「…これのどこが寒くないんだ?」
「あははっ…」
「っとに、おまえさんは…」
触れ合わせた頬をさらに寄せ、冷えた身体を温めてやるかのように、この細い身体を抱きしめた。
ふたりで過ごせる時間は、あまりない。
どちらにも、それぞれが生きている場所がある。
ふたりが同じ時間を過ごせる場所は、金澤の職場である学院か、彼の家だけ。
外で大手を振って付き合えるような関係ではないことを、一番知っているのはお互いで。
そこにあるのは、互いを愛しいと思う気持ち。誰よりも、その傍にいたいと願う、心。
だからこそ、こうして王崎の時間がとれるときは、ふたりで過ごすようにしていた。
人知れず、ふたりだけでそっと、温もりを分け合いながら。
「…んで」
温もりが戻った頬を離してやり、その顔を覗き込むように金澤が問いかけた。
「なにをそんなに、見上げてたんだ?」
声に顔を金澤の方へ一度向け、疑問の意味を理解すると、王崎は再び空を見上げた。それにつられるかのように、金澤も顔を上げる。
ふたりの視線の先には、淡い白光を見にまとった月が、闇の空に光り輝いていた。今宵は満月なのか、普段よりものその輝きが強く、周囲の星明りさえ消し去ってしまっている。
「月があまりに綺麗だったので、見惚れていて…」
「ふ~ん…」
「月に海があるなら、どの辺りなのかとか・・・色々考えていたんです」
「月ねぇ・・・」
言われれば、確かに美しい月ではある。だがずっと眺めているにしては季節が悪すぎる。暖かな季節であれば付き合ってもいいが…と、金澤は月から興味をなくし、視線を王崎へと戻した。
王崎はいまだ月を見上げている。その表情は柔らかく、瞳を細めてうっとりとしていて。月明かりに横顔が照らされて、月よりもその顔に金澤は見惚れた。
綺麗な顔をしていると思う。目のラインや、頬のまろさや、ゆるりと弧を描く唇。月明かりを溶け込んだ瞳は、純粋な彼の心を表すかのように透き通っていて。
肌にかかる髪は柔らかな紅色。ふわりとしたそれは、柔らかな物腰と優しさに溢れている彼にはよく似合うと、贔屓目を抜いても、素直にそう感じた。
(恋の魔力ってのは、恐ろしいもんだなぁ…)
同性であるはずの彼にここまで見惚れる自分が、内心嫌いではない。そんなことを思う自分に少し呆れ笑い。いつのまにか、この恋人に酷く依存している自分がいる。
王崎とは付き合い自体は長いが、それを恋として自覚したのはつい最近のこと。大切に思う気持ちは同じ、だが友情と恋情は紙一重。その一線を踏み越えたのは、一体どちらであっただろうか。
複雑になりかけた自身の思考をそこで止め、やれやれと髪をかいて、その手で彼の視線を覆った。視界が暗くなったせいか、小さな驚きの声があがる。
「あんま見つめんな。……拗ねるぞ?」
拗ねた調子でそう耳元で囁けば、ぷっと小さく吹き出す音。そのままくすくすと王崎は笑い出した。それを笑うなという意味を込めて髪をぐしゃぐしゃと撫でてやる。
「とりあえず、さみぃ。中入るぞ」
「…ですね」
にこりと金澤に微笑み、そっと自身の指を金澤へ絡ませ、促されるままにベランダを後にした。